ただ今札幌で行われている日本遺伝学会に参加中です.
最近は割と抽象的な研究(ナマのものを扱わない研究)を行っているので,実際に生物を扱っている研究を見ると色々と刺激を受けます.
2010年9月19日日曜日
ヒトの集団サイズ
先日は国際霊長類学会で少し話をさせていただきました.内容はヒトの集団サイズとそれにともなう進化の強さの変化について,そして現在進めている核-ミトコンドリア遺伝子間の新しい進化モデルについてでした.
他の霊長類と比べた時のヒトの特徴は色々とありますが,僕が一番重要視しているのは集団サイズです.ヒトの人口は現在約69億人ですが,それに比べるとヒトという種が持つ遺伝的多様性は驚くほど少なく,有効な集団サイズが約10,000程度と見積もられています.この値はチンパンジーやゴリラと比べても少なく,遠くない過去に集団サイズのボトルネックがあったのではないかと推測されています.現在の人口の増加はヒトが農耕文化を獲得してから爆発的に増えた結果で,高々数千年の歴史の結果です.したがって,まだヒトの遺伝的多様性に全体的な影響を及ぼすほどの効果はないようです.
ただ,ヒトが他の霊長類より集団サイズが小さいといっても,霊長類自体の集団サイズは他のほ乳類,特にげっ歯類のような小型の哺乳類に比べると小さいようです.僕が以前研究を行ったマカクでは,過去の集団サイズは30,000-50,000くらいです.それに比べて,最近発表された野生マウスのデータでは集団サイズは600,000くらいであると言われています.
では,霊長類,特にヒトがもつ少ない遺伝的多様性はどのような結果を引き起こすのでしょうか.60-70年代の集団遺伝学の理論的研究によって得られた一つの結論は,自然選択は集団サイズが大きい集団により効率よく働くというものです.これは直感的にも正しく,集団サイズが小さいと遺伝的浮動の効果が大きく,良い突然変異であっても偶然の結果集団から除かれたり,悪い突然変異が偶然によって集団中に広まったりします.また,集団サイズが大きいということはそれだけ集団に入ってくる突然変異の数が多いことになりますので,有利な変異が生まれる確率が上がるはずです.
実際にヒト,サル,マウスのそれぞれの系統で色々な遺伝子のアミノ酸配列を調べた研究がいくつかあります,それぞれの系統で蓄積したアミノ酸の変異の量を期待値で割ってあげると,ヒト>サル>マウスの順にアミノ酸配列の変化量が高くなっています.もちろん,ヒトの系統で正の自然選択が強くかかっていてヒトが特殊化したという説は考えられますし,否定もできませんが,より説得力のある説明としては,集団サイズが小さいヒトの系統では有害な変異にかかる淘汰が弱く,より多くの有害な変異が蓄積したというものがあげられます.これが太田朋子先生が提唱したほぼ中立説を支持するデータの一つです.
ヒトの集団にかかる淘汰圧が全体的に弱いと仮定した場合にどのようなことが予想されるでしょうか.現在までに多くのゲノム解析が行われてきました.その中で,ヒトをヒトと足らしめる遺伝的要因の発見というのは一つの大きなテーマになってきました.多くの研究は,正の自然選択によって起こった違いに注目します.実際に僕も学生の時にはヒトとサルの遺伝子を比べてどのような遺伝子が正の選択を受けたのかという研究を行っていました.どのような過程でわれわれは優れた方向に進化してきたのかというのは確かに重要なテーマです.おそらく数十,数百の遺伝子は正の自然選択を受けているでしょう.しかしそれ以外にも偶然の結果固定した中立な変異や有害な変異も存在するはずです.
僕が最近思っていることは,ヒトの特徴というのはこれらの変異すべてひっくるめて捉えないといけないのではないかということです.もちろんわれわれヒトが優れた形質を獲得したことも大事ですが,悪いものを獲得してしまったことも同じく大事だと思います.もちろん,どのような遺伝的機構によってその形質が獲得されたのかを区別することは重要ですが,そのどちらが重要かということを決めることは不可能だと思うのです.
また,変異が固定するかどうかは自然選択によって左右されますが,いったん固定してしまったものがそのあとどのようになるのかはまったくわかりません.例えば,霊長類のうち真猿類はビタミンC合成酵素が欠失しているのでビタミンCを合成できません.色々な理由が想像できますが,中立説で説明すると,ビタミン豊富な果実を主食にしていた霊長類はビタミンCが合成できなくても生存でそれほど不利にならず,欠損型の遺伝子が偶然によって集団に広まったと考えることができます.とはいえ,ビタミンC合成欠損というのは明らかな表現型です.過去の人類は十分なビタミンCを摂取できていたのでしょうか.今のわれわれがビタミンCを合成できたとすると,壊血病もなく,レモネードもオロナミンCもなかったはずです.反対に,過去は生存に有利であり集団中に広まった形質が,その後意味がなくなっている例もたくさんあると思います.
集団サイズと淘汰の話になると,ではなぜ集団サイズが小さいヒトや他の大型ほ乳類のような生物が複雑な体制と行動様式を持っているかという話になるかと思います.すでにいくつかの似たような説が提唱されていますが,僕はやはり集団サイズが小さいほど淘汰が弱くなり,適応の局所的な最適値を抜け出すことができるのではないかと思います.ライトの平衡遷移説は,分断された小集団で局所的ではない別の最適値への適応が起こり,それが大集団に広まっていくことを仮定していますが,われわれはすでに集団サイズの小さい種では多くの有害な変異が蓄積していることを知っていますから,分断された小集団ではなく,種レベルでそういったことが起こる可能性を考えることもできます.局所解を求めながらファインチューニングをしていく方法と,アドホックに大きなジャンプを繰り返していく方法と両方があり,生物種によって(おそらくライフサイクルと関連して)どちらかに偏った進化をしているのではないでしょうか.
他の霊長類と比べた時のヒトの特徴は色々とありますが,僕が一番重要視しているのは集団サイズです.ヒトの人口は現在約69億人ですが,それに比べるとヒトという種が持つ遺伝的多様性は驚くほど少なく,有効な集団サイズが約10,000程度と見積もられています.この値はチンパンジーやゴリラと比べても少なく,遠くない過去に集団サイズのボトルネックがあったのではないかと推測されています.現在の人口の増加はヒトが農耕文化を獲得してから爆発的に増えた結果で,高々数千年の歴史の結果です.したがって,まだヒトの遺伝的多様性に全体的な影響を及ぼすほどの効果はないようです.
ただ,ヒトが他の霊長類より集団サイズが小さいといっても,霊長類自体の集団サイズは他のほ乳類,特にげっ歯類のような小型の哺乳類に比べると小さいようです.僕が以前研究を行ったマカクでは,過去の集団サイズは30,000-50,000くらいです.それに比べて,最近発表された野生マウスのデータでは集団サイズは600,000くらいであると言われています.
では,霊長類,特にヒトがもつ少ない遺伝的多様性はどのような結果を引き起こすのでしょうか.60-70年代の集団遺伝学の理論的研究によって得られた一つの結論は,自然選択は集団サイズが大きい集団により効率よく働くというものです.これは直感的にも正しく,集団サイズが小さいと遺伝的浮動の効果が大きく,良い突然変異であっても偶然の結果集団から除かれたり,悪い突然変異が偶然によって集団中に広まったりします.また,集団サイズが大きいということはそれだけ集団に入ってくる突然変異の数が多いことになりますので,有利な変異が生まれる確率が上がるはずです.
実際にヒト,サル,マウスのそれぞれの系統で色々な遺伝子のアミノ酸配列を調べた研究がいくつかあります,それぞれの系統で蓄積したアミノ酸の変異の量を期待値で割ってあげると,ヒト>サル>マウスの順にアミノ酸配列の変化量が高くなっています.もちろん,ヒトの系統で正の自然選択が強くかかっていてヒトが特殊化したという説は考えられますし,否定もできませんが,より説得力のある説明としては,集団サイズが小さいヒトの系統では有害な変異にかかる淘汰が弱く,より多くの有害な変異が蓄積したというものがあげられます.これが太田朋子先生が提唱したほぼ中立説を支持するデータの一つです.
ヒトの集団にかかる淘汰圧が全体的に弱いと仮定した場合にどのようなことが予想されるでしょうか.現在までに多くのゲノム解析が行われてきました.その中で,ヒトをヒトと足らしめる遺伝的要因の発見というのは一つの大きなテーマになってきました.多くの研究は,正の自然選択によって起こった違いに注目します.実際に僕も学生の時にはヒトとサルの遺伝子を比べてどのような遺伝子が正の選択を受けたのかという研究を行っていました.どのような過程でわれわれは優れた方向に進化してきたのかというのは確かに重要なテーマです.おそらく数十,数百の遺伝子は正の自然選択を受けているでしょう.しかしそれ以外にも偶然の結果固定した中立な変異や有害な変異も存在するはずです.
僕が最近思っていることは,ヒトの特徴というのはこれらの変異すべてひっくるめて捉えないといけないのではないかということです.もちろんわれわれヒトが優れた形質を獲得したことも大事ですが,悪いものを獲得してしまったことも同じく大事だと思います.もちろん,どのような遺伝的機構によってその形質が獲得されたのかを区別することは重要ですが,そのどちらが重要かということを決めることは不可能だと思うのです.
また,変異が固定するかどうかは自然選択によって左右されますが,いったん固定してしまったものがそのあとどのようになるのかはまったくわかりません.例えば,霊長類のうち真猿類はビタミンC合成酵素が欠失しているのでビタミンCを合成できません.色々な理由が想像できますが,中立説で説明すると,ビタミン豊富な果実を主食にしていた霊長類はビタミンCが合成できなくても生存でそれほど不利にならず,欠損型の遺伝子が偶然によって集団に広まったと考えることができます.とはいえ,ビタミンC合成欠損というのは明らかな表現型です.過去の人類は十分なビタミンCを摂取できていたのでしょうか.今のわれわれがビタミンCを合成できたとすると,壊血病もなく,レモネードもオロナミンCもなかったはずです.反対に,過去は生存に有利であり集団中に広まった形質が,その後意味がなくなっている例もたくさんあると思います.
集団サイズと淘汰の話になると,ではなぜ集団サイズが小さいヒトや他の大型ほ乳類のような生物が複雑な体制と行動様式を持っているかという話になるかと思います.すでにいくつかの似たような説が提唱されていますが,僕はやはり集団サイズが小さいほど淘汰が弱くなり,適応の局所的な最適値を抜け出すことができるのではないかと思います.ライトの平衡遷移説は,分断された小集団で局所的ではない別の最適値への適応が起こり,それが大集団に広まっていくことを仮定していますが,われわれはすでに集団サイズの小さい種では多くの有害な変異が蓄積していることを知っていますから,分断された小集団ではなく,種レベルでそういったことが起こる可能性を考えることもできます.局所解を求めながらファインチューニングをしていく方法と,アドホックに大きなジャンプを繰り返していく方法と両方があり,生物種によって(おそらくライフサイクルと関連して)どちらかに偏った進化をしているのではないでしょうか.
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