2012年7月24日火曜日

本棚:Elements of Evolutionary Genetics

今年度は集団遺伝学のテキスト輪読会でこの本を採用しています. Elementsと呼ぶには分厚すぎる本ですが,これを全部読むことができたら集団遺伝学の基礎はマスターしたと言っていいのではないかというくらい基礎的なことをカバーしています.

他の教科書に比べると数式が多いので,数学が好きな人は計算を楽しみながらできるのではないでしょうか.まじめにやるとかなり時間がかかると思います.

ただ,一つ気をつけなくてはいけないことは,集団遺伝学の教科書には学問の歴史的には重要であるが,現実には何の役にも立たない理論や仮説がたくさん出てきます.もちろん現代の科学者が共通に持つ考えはすべて歴史的な経緯を経てきているので,それらを知ることは重要です.

しかし,初学者が教科書に書いてあるからと言って正直に信じてしまう可能性もあります.例えば,この教科書の最初の数章は,如何に集団中に遺伝的多様性が保たれているかのモデルについて多くのページを割いています.初期の集団遺伝学がこのことをテーマにして,多くの理論を発展させたことは事実です.しかし,現代を生きるわれわれは多様性の多く(もちろんすべてではなく,自然選択によって維持されているものも無視できないくらいはあるでしょうが)はいわゆるmutationとdriftのバランスによって維持されていることを知っています.

歴史は歴史ということがわかっていて,かつそれを学ぶのに時間をかけることを惜しまなければ,非常に広い範囲をカバーしている良くまとまった教科書であると思います.

 

2012年7月18日水曜日

ドクチョウのゲノム

Butterfly genome reveals promiscuous exchange of mimicry adaptations among species, The Heliconius Genome Consortium Nature (2012)
 
今日は集団遺伝学のジャーナルクラブでこれをやりました.

毒を持つチョウでは一般的にベイツ型擬態( 毒の無い種がある種のマネをする)とミューラー型擬態(毒のある種が模様を共有する)が知られていますが,Heliconiusという南米に住むミューラー型擬態をするチョウのゲノム解析に関する論文です.

この属は割とよく研究されているので,基本的な発見は過去のものの焼き直しなのですが,ゲノム配列が決まったことによってより詳細に解析できるようになったというのがアピールポイントです.
同じところに住む別々の種がどうやって見た目を共有できるのかは大きな謎ですが,この種では翅 のパターンを大きく決める二か所の座位が知られています.

割と近縁な種間では,これらの座位において選択的な遺伝子流入があるということが,今回の研究でも確かめられました.捕食者(鳥)は食べてまずいチョウの模様を学習しますので,集団内に同じ模様のものがいればそれだけ食べられるリスクは減るはずです.別種から交雑により今の種にない翅パターン遺伝子が入ってきた場合,雑種の適応度が一時的に下がったとしても,生存に有利な座位だけが組み換えを経て集団中に広まることができます.したがって,ゲノム全体では分化していても,ある領域だけで見ると,別種の方が近くなっていることが予想され,実際に確認されています.

間違いなくハエよりは飼いづらい種ですが,実験室の中で交配もできるため,擬態だけでなく交配様式や毒の代謝など生物学的におもしろそうなことがいっぱいできそうな予感がします.

2012年7月4日水曜日

Mann-Whitney U test

Wilcoxon rank sum testとも言いますが,ウェブを見ると「中央値の比較」と書いてあるものが多いのですが,これってよくある誤解なのでしょうか.比較の代表値として中央値を使うのはいいと思うのですが.

中央値が同じでも順位の分布が違う例はいくらでも出せます.

例えば,

サンプル1: 1,2,5,6,7
サンプル2: 3,4,5,8,9

2012年7月3日火曜日

サルゲノム

Whole-genome sequencing and analysis of the Malaysian cynomolgus macaque (Macaca fascicularis) genome

現在京大の霊長研にいる東濃さんが基盤研にいる間に行ったカニクイザルのゲノム解析結果がGenome Biology誌にパブリッシュされました.本当は1番のりでカニクイザルゲノムを発表したかったのですが,投稿中に他のグループからのゲノム配列が2つ発表されてしまったので色々と苦しみました.

後発とはいえ今回の解析対象(マレーシア産個体)には大切な意義があります.これまでの2配列はモーリシャス産とベトナム産の二つの産地由来の個体が使われていました.実はこれらの二つはかなり特殊なサルと言われています.モーリシャスのサルは数頭の個体が近代になって船に乗って渡ったものとされ,遺伝的多様性が極端に低くなっています.また,ベトナムのカニクイザルは近所に住むアカゲザルとの交配が進んでいると言われています.そういった意味では,インドネシアおよびマレーシアに住むカニクイザル集団はよりカニクイザルらしいカニクイザルと言うことができるでしょう.化石の証拠でも,インドネシア・マレーシア集団が祖先集団であると言うことが示唆されています.

カニクイザルは僕が学生のころから対象としてきた生物なので,リシークエンスとはいえ,ゲノム配列の決定には感慨深いものがあります.マカクは実験用の動物と言うだけでなくエコロジーの点からも面白い実験材料なので,これから色々な研究が進んでいくことを期待します.

2012年7月1日日曜日

本棚:偶然とは何か

最近更新をサボっていましたので,SMBEへ行く機内の中で読んだ同じタイトルの二冊です.

両方とも確率論を基礎に,偶然とは何か,そもそも偶然はこの世の中に存在するのかといったような哲学的な問いに答えようとしていきます.同じテーマの本を同時に何冊か読むのは,著者の考え方の違いや細かい内容の違いまでわかるのでとても勉強になります.

一冊目の本は日本人の著者によるもので,より哲学的な思弁が多いのに対し,二冊目は欧米人の著者で,北欧神話を題材とした詩的な表現やアルゴリズムやカオス理論,ゲーム理論など現実的な話題を中心に話が組み立てられています.

細かな違いはありますが,どちらの本でも偶然とは「観察データの不足(精度と次元数)もしくは理論の不完全さにより決定論的に予測不能であること」という考えを基にしています.普段何気なく使っている偶然という言葉や確率論の基礎にもいろいろと深い意味があることに気づかされます.