2015年9月9日水曜日

中立説とほぼ中立説との違い

中立説とほぼ中立説については過去のエントリーで,「遺伝」に寄稿した文章の一部を載せました.ただし,専門家であっても中立説とほぼ中立説の違いについては,概念的な問題であるせいもあって意見が一致しないところもあります.ここではその違いについて私見を書いてみます.

まずは中立説について.中立説の一番重要な主張は,「集団に固定した変異のほとんどは中立である」ということです.もちろん稀なケースとして有利な変異が固定することを否定していませんし,そもそも多くの変異は有害であることは当然のこととして認識されています.もう一点大事なことは,後でも触れますが,集団内のプロセスを考える場合には木村先生はしばしば「effectively neutral」という言葉を用いており,アリルが「結果として」中立的にふるまう,ということが強調されています.

一方,集団内の多型については,頻度がある程度のもの,例えば1%より高いものについては多くが中立であるが,それ以下の頻度のものは弱有害か有害であると考えていたようです(1).「分子進化*」の中立説の中に集団内の多様性が中立かどうかという話題が含まれるかどうかは微妙ですが,晩年の論文などを見る限り,木村先生は集団中の多様性も中立な変異によって決まっており,集団内での多様性も突然変異率によって決まっていると考えていたようです(2).残念ながら,現在ではこのパターンはあまりあてはまらないことが知られています.これをもって中立説が否定されたとする論文もありますが,この晩年の考えが中立説に含まれるのかどうかは実際わかりません.

太田先生のほぼ中立説に話を移します.太田先生のほぼ中立説は当初は弱有害な変異が固定したり,集団中に存在したりすることが主眼になっていましたが,その後多少の修正を経て,「進化には淘汰と浮動の両方が関わるような変異が重要である」ということと,「弱有害な変異が固定すると同時に,弱有利(slightly advantageous)な変異が固定することもある」というように拡張されました(3)

この2つの説の違いは言葉でいうと結構違っているようにも感じますが,いろいろと難しい問題を含んでいます.まずは集団に固定した変異が中立であるか弱有害であるかについて考えてみます.

太田先生のほぼ中立説の妥当性を強く示していると考えられる1つの証拠が,生物の集団サイズと進化速度との関係です.哺乳類のいろいろな系統では,相対的な(突然変異率で基準化された)アミノ酸の置換率がその生物の長期的な集団サイズと負の相関を示していることが知られています.これはほぼ中立説の予測に一致します.しかしこれは中立説からも同様に予想できることです.中立説であっても,集団サイズが小さくなると自然選択の有効性が下がりますので,「effectively neutral」な変異の割合が増え,そのような集団では置換速度が上がります.つまり2つの説の予測は同じであり,これをもってどちらの説がよくあてはまるかを論じることはできません.

しかし,あえて違いを感じ取るとすると「effectively neutral」と「neutral」の違いではないかと思います.集団遺伝学の固定確率の式では,有効集団サイズNと選択係数sとが近似的には積の形だけで表れます.Nsがある程度(定義とモデルによって違いますが一般的には絶対値が1以下)であるとそのような変異は「effectively neutral」であるとみなせます.しかし,生物学的見地に立ってみれば,有害の度合い,つまりsの値は絶対的な値であり,結果として中立的に振る舞うようになったとしても,以前より「生物学的に」有害な変異が固定したのであればそれは有害なものであると考える方が自然であるように感じられます.もう1点の違いは,ほぼ中立説では「固定確率が中立な変異よりも低いが0ではない変異」の重要性を考えています.これらの変異は例え固定したとしてもeffectively neutralとは言えないのかもしれませんが,実際の淘汰圧が分からない限り実際のデータから区別することは難しいでしょう.

もう1点は過去のエントリーでも述べていますが,世代時間と分子進化速度との関係です.中立説ではこれは説明できなく,突然変異は年あたり一定という説明が必要ですが,ほぼ中立説は集団サイズと世代時間の負の相関によって説明ができます.ただし,突然変異率の推定は未だに難しいことが多く,古くからモデルとなってきた世代あたり一定の突然変異率という前提が本当に正しいのかということに対する明確な答えは出ていません.ヒトの場合,父親の年齢に従って突然変異の数が上がることが知られており,これが突然変異を年あたり一定にする方向に働いているのかもしれません(4).また,ヒトのミトコンドリアの突然変異においては年あたり一定とした方がよさそうだという報告もあります(5)

最後に集団内の多様性に対する考えです.置換率の問題と同様,ほぼ中立説では集団サイズが小さくなれば,それだけ弱有害な変異が集団中に存在することになります.最近になって様々な生物集団で遺伝的多様性が調べられていますが,どうやらこのパターンは不変的にみられるようです.それではこのパターンは中立説でも説明できるのでしょうか.木村先生の考えでは集団中である程度の頻度にある変異はほとんど中立であるとしました.集団サイズが小さくなると今まで有害であった変異が「effectively neutral」になります.したがってもともと弱有害であった変異が集団中に広まることができるようになりますから,予測はほぼ中立説と変わりません.

ところが,実際の集団中の変異の頻度を見てみると,アミノ酸を変えるようなDNAの変異は変えないような変異よりもより頻度の低い方に偏っています.頻度が比較的高い,例えば10%以上の頻度のものであってもアミノ酸を変える変異の割合が期待値よりも多くなっているようです(6).そのようなパターンを見る限りは,やはり「effectively neutralとそれ以外」といったような分け方をするのではなく,太田先生のモデルのように連続的な選択圧のパラメータを考えた方が現実に近いのではないかと思います.

これらのことを踏まえると,本質的な違いはやはり,もともと弱有害だった変異が結果として中立になったときにそれを弱有害ととらえるか中立ととらえるかという問題が,大きな考え方の違いだったのではないかと考えています.ただ,考え方が違っていたとしても,予測される結果が重なっているところが多く,違いがなかなか理解されにくいのかもしれません.

1.       M. Kimura, Mol. Biol. Evol. 1, 84 (December 1, 1983, 1983).

2.       M. Kimura, The Japanese Journal of Genetics 66, 367 (1991).

3.       T. Ohta, Annual Review of Ecology and Systematics 23, 263 (1992).

4.       A. Kong et al., Nature 488, 471 (Aug 23, 2012).

5.       Q. Fu et al., Nature 514, 445 (10/23/print, 2014).

6.       A. Kiezun et al., PLoS Genet. 9, e1003301 (2013).

* 分子進化は一般的には固定した変異だけを考える.