2008年5月21日水曜日

捏造というより虚構

鹿児島大学での論文の不正騒動について,大学からの調査結果がありましたので,暇なときに目を通してみました.主として関わった方はすでに亡くなられているのでこれ以上の真相は闇の中です.

http://www.kagoshima-u.ac.jp/html/files/1079/080516gakuchokokuji.pdf

その内容に驚きました.

僕は捏造というとちょっと図をいじったとか,余計なサンプルを省いたとか,逆にサンプル数を増やしたりとか,そういうレベルで想像していたのですが.ほとんどの図が使いまわしの論文があったり,いないはずの患者がいたり,ここまでくると捏造というより虚構の世界です.誤差を示すエラーバーがどのサンプルでも計ったようにキッチリと一緒だったり,よく査読を通ったなと逆に感心してしまいます.知らずに捏造データを渡された共著者を被害者ととらえることもできますが,ものによっては粗雑なデータを見抜けなかった責任もあるでしょう.



話は変わりますが,本人は不正を行っていなくても,「実は全く別のものを見ていた」または「解釈が全く違っていた」という例は不正の数とは比べ物にならないほど多いでしょう.有名な論文であれば追試によって検証されますが,見過ごされているものも多いでしょう.ただ,後になってみれば間違いであったとわかったことなどはたくさん存在します.というよりもむしろ科学という手法が後の検証によって誤りを見つけていく営みだととらえることができるかもしれません.つまり,明らかに故意の不正がない限りは誤った結論を導いた論文を撤回する必要はないと思います.

そうなると,業績の評価は論文数やIFなどで評価するよりも,研究の内容がわかる専門家が,「あの人の論文は有名だけど再現性が低いからNG」というように研究成果を評価できるのが理想ではないでしょうか.したがって,適切な評価ができるように分野ごとに一流の専門家を集めるべきだと僕は考えています.ただ,人的リソースの少ない日本でそれをやるとお手盛り評価のお山の大将集団になってしまう可能性が心配になりますので気をつけなければいけないでしょう.