2007年4月30日月曜日

おとりによるウィルスからの生体防御

夏に大会が近くであるので、霊長類学会に入会しました。今まで参加していなかったのが不思議ですが、分子関係の人はどれくらいいるのでしょうかね。

それとは別に、共同研究を行っていた遺伝子に関する論文が通りました。僕は端っこの方の仕事を手伝わせていただいただけなので、論文の中心となる話については正式な情報は出版を待つとしましょう。ここでは論文本体では中心ではなかった進化的なお話を書きます。

さて、材料となったのはげっ歯類特異的な遺伝子で、アデノウィルスレセプター遺伝子が遺伝子重複により増えたものです。しかし、本来の遺伝子がもっている膜貫通領域が無く、ウィルスの結合領域が三つに重複しています。

一般的にウィルスなど病原菌は細胞の膜にくっついているタンパク質を足がかりにして細胞の中に入っていきます。例えばエイズウィルスのレセプターにはCCR5などが知られています。ところが、これらのレセプターはそもそもウィルスを中に呼び込むために存在しているわけではありません。細胞接着やシグナル伝達など、細胞が生きるのに必要な役割を果たしています。ウィルスはそれを狙って細胞の中に入ってきます。

いくつかの遺伝子はウィルスの進入を防ぐための巧妙な仕掛けを持っています。選択的スプライシングにより、ウィルスの結合部位を持ち、膜貫通領域を持たないタンパク質を放出するのです
参考論文。ウィルスが細胞内に入るためには、細胞膜にくっつかなければいけないわけですから、膜貫通領域が無く溶液中に溶けているレセプターはいわゆる「おとり」として働くと考えられています。すなわち、細胞に入ろうと結合してきたウィルスを捕まえるトラップとして働きます。最初にこの仕組みを知ったときは感心しました。生物が持つすばらしい防御メカニズムです。

このような仕組みに加えて、マウスには遺伝子重複を使ったシステムがあるのではないかということが示唆されました。実験によりこの遺伝子を余計に発現させてみると、確かにウィルスへの感染率が下がります。どうしてげっ歯類特異的なのか、上記のASを介するモデルと遺伝子重複による防御の戦略は進化的にどう違ってくるのか。遺伝子重複により、結合ドメインが増えて、より多様なウィルスの変異体をトラップできるようになっているのか。

遺伝子重複と選択的スプライシングの適応的な意味を調べるのに良いモデルとなるかもしれません。

2007年4月23日月曜日

チンパンジーの方が進化しています

More genes underwent positive selection in chimpanzee evolution than in human evolution. Bakewell et al. PNAS 2007.

「ヒトとチンパンジーが共通祖先から分かれてから正の淘汰を受けた遺伝子を数えてみたところ、チンパンジーの方におこったものの方が多かった。」

という内容です。当然といえば当然ですが、集団遺伝学の知識が無いと、当然という答えは導くことはできません。一見、ヒトとチンパンジーではヒトの方がより進化した形質を持っているような印象を受けますが、目に見える形質がすべてではありません。

正の淘汰とは何か?というところから始めましょう。正の淘汰とは、有利な形質を現す突然変異が、後の世代に急速に広がっていくことを指します。そのような突然変異を持った個体はより多くの子孫を後世に残しやすいからです。良い形質に対して淘汰が働くので、正の淘汰(positive selection)と呼ばれます。所謂ダーウィン的な進化概念の中心となるものです。

ヒトとチンパンジーを比べてみましょう。ヒトは高度な知性を持っていますし、複雑な操作、毛の無い肌、直立二足歩行など、先祖のサルには見られない多くの形質を持ちます。しかし、生物学的にみてこれらは中立な目印なのでしょうか?我々は人間です。我々は自分自身を見る場合に、自分に特徴的なものをついつい過大評価してしまう傾向にあります。

これまでの研究で、分子データ(DNA配列データ)をもとにして、正の淘汰を受けた遺伝子を発見する手法が確立されてきました。もし、タンパク質のアミノ酸置換が生存上有利に働き、急速に集団中に広まったとすると、そういった遺伝子では、アミノ酸の置換を行う非同義置換が、アミノ酸配列に影響を与えない同義置換より高頻度で集団中に固定します。ヒトとチンパンジーのゲノム配列がわかった現在、どちらの遺伝子により正の淘汰が働いたのかを調べることができるようになりました。上記の論文では、最尤法を用いて正の淘汰を受けた遺伝子を探し出し、それがヒトの系統で起きたのか、チンパンジーの系統で起きたのかを比べています。

その結果、チンパンジーの系統でより多くの遺伝子が正の淘汰を受けているという結果が出ました。集団遺伝学の理論では、淘汰の強さは集団サイズが大きくなると強くなります。集団が大きくなると、偶然によって突然変異が固定する確率が少なくなり、逆に有利な突然変異の固定する確率が上がっていきます。これまでの調査では、チンパンジーの有効な集団サイズ(生殖に関わる個体数の理論値)は現在のヒト集団のおよそ倍だとされています。したがって、集団サイズの大きいチンパンジーでは、淘汰の影響はヒトよりも大きくなります。これらの結果は当然予想されうるものであり、なんら意外性はありません。しかし、これまで論文ではっきりと述べられたことはありませんでした。

ここでは正の淘汰について述べましたが、負の淘汰についても同じことが言えます。負の淘汰とは、突然変異が悪い方向に働く結果、そのような変異が集団中か ら除かれることを指します。ヒトの系統では集団サイズが比較的小さいため、有害な突然変異が効率よく淘汰されていきません。したがって、ゲノム全体を比べ た場合にはヒトの系統でより多くのアミノ酸の変異が固定しています。たとえアミノ酸の置換が有害(致死ではない)であっても、集団サイズが小さければ偶然によって固定する確率が高くなるからです。このような理由以外にも、近年のヒトの生活環境の変化により、有害な変異にかかる淘汰圧は減少しているからとも考えることができます。しかし、それらの効果が長いヒトという種の歴史にどれだけ影響しているかはまだわかりません。

実際に正の淘汰を受けた遺伝子というものはどういったものでしょうか?

タンパク質の修飾・代謝、転写因子など、どれも直接形態的な特長には結びつきがたいものです。これは当然の結果ですが、我々はつい表面的な形質に注目しています。代謝など身体の内部で行われている環境への適応は直接は目で見えなくても生物のゲノムに大きな足あとを残しているのです。

ただし、ヒトがヒトであるための形質をつかさどるような遺伝子の中にも正の淘汰を受けたとされる候補が見つかっています。ヒトで小頭症を引き起こすMCPH1やASPM、言語障害を引き起こすFOXP2などがこれまでに挙げられています。

2007年4月19日木曜日

Thunderbird

インターネットのブラウザにはFireFox、メーラーにはThunderbirdを使っています。

FireFoxはIEより圧倒的に軽く、機能もほとんど変わりません。Thunderbirdにはベイズ推定による迷惑メール学習フィルタがついています。どちらも使いやすいのですが、不満が一つ。

Thunderbirdはディフォルトだと署名が一つしか使えないんですよね。メールによって名乗る名前を変えるようないかがわしい仕事はしていませんが、日本語と英語の署名を使い分けたいときには不便です。

と、さっき間違えてオーストラリアに日本語の署名で送ってしまってしまいました。最近のOSは文字化けしないで読めると思いますが、向こうにはチンプンカンプンですね。

漢字などはガイジンの目にCoolに映るらしいですが、英語と日本語両方併記しておくとウケが良かったりするのでしょうか。署名が倍の長さになってしまいますが、事故を防ぐためにやってみます。

2007年4月15日日曜日

盆と正月、タマゴとニワトリ

論文のアクセプトと研究費の内定が同時にやってきました。最近色々と大変だったので嬉しい限り。
研究者にとっては盆と正月が一度にやってきた感じです。

一般的には、研究費が無いと論文が書けないし、論文が無いと研究費は取れません。

では、研究費が先なのか?論文が先なのか?

なんか、「タマゴが先かニワトリが先か?」の話に似ていますね。

さて、生物学的にはタマゴとニワトリはどちらが先でしょうか?
進化生物学的な見地から書いてみましょう。

生物に起こる突然変異は、生殖細胞(卵細胞や精細胞)に起こったもののみ次の世代に伝えられます。哺乳類の胎児では、すでに始原生殖細胞が分化しています。つまり、妊婦の腹の中には既に将来孫になる予定の細胞が既にできているのです。

仮に、タマゴでは無いものからニワトリが成長したとしましょう。

これは、「ニワトリのタマゴで無いもの」に起こった変化により、ニワトリを生み出します。環境が要因かもしれませんし、体細胞の突然変異かもしれません。しかし、そのような変化は次世代には伝わりません。なぜなら、生殖細胞に起こった変化のみが遺伝的に次世代に伝わるという事実があるからです。

反対に、「ニワトリで無いもの」の生殖細胞に起こった突然変異は、ニワトリのタマゴを産みだしえます。これは簡単には想像できませんが、上の仮説が理論上おかしいなら、こちらが成り立つと考えざるを得ません。最近の定説では、鳥類は恐竜から派生したと言われています。つまり、「ニワトリっぽい鳥の生殖細胞に起こった突然変異がニワトリのタマゴを産んだ」、となります。

というわけで、進化生物学的にはタマゴが先という結論が導けます。

ただし、この場合は「(ニワトリの)タマゴが先か?ニワトリが先か?」という質問の答えです。

より広義に考えてみましょう。

殻がついているタマゴであろうが、それ以外の原始的なタマゴであろうが、タマゴという存在は進化学上、鳥類の存在より遥か昔に存在しています。殻のついたタマゴなら爬虫類がすでに持っていたと考えられますし、殻が無いタマゴは既に両生類や魚類が持っています。つまり、この場合もタマゴが先です。

さて、最初の論文と研究費の話に戻ります。

実際のところ、研究費が無くても論文は書けますし、論文が無くても研究費は獲得できます。したがって前の話のように単純には結論を出せません。ただし、「研究費を取って論文を書く、その成果を用いて次の研究費をとる」、このサイクルが上手く回っている人こそ、優秀な研究者としてサバイバルできるのでしょう。ただし、論文を書くことからサイクルに乗っても良いですし、研究費を取ってからサイクルに乗ることもできます。七転び八起き。

精進したいところです。

2007/7/17追記

もう少し考えて見ました.穴が無いか心配です.

「ニワトリのタマゴでないもの」が発生を始める前に突然変異が起こり,ニワトリになったとしましょう.この場合,生殖細胞が分化する前にそのもとになる細胞に突然変異が起これば,その変異は伝わります.

しかし、この変異は「ニワトリでないもの」の胚に起こった変異が「ニワトリ」を生み出しているのです.タマゴの殻を見てみましょう.これは間違いなく「ニワトリでないもの」のタマゴの殻です.

さて,ここでジレンマがあります.ニワトリでないもののタマゴの殻に入ったニワトリの胚,果たしてこれをニワトリのタマゴと呼ぶのでしょうか.

こう考えて見ましょう.ガチョウのタマゴに穴を開けて中身を抜き取ります.中にニワトリのタマゴの黄身を入れてフタをします.これはガチョウのタマゴか,ニワトリのタマゴか.

正確に言うと「ガチョウのタマゴの殻に入ったニワトリ」なのですが,ほとんどの人はニワトリのタマゴと答えるのではないでしょうか.そもそもこの段階ではタマゴの殻から出すということは個体の死を意味します.つまりタマゴの殻と中身をわけて考えることはできません.死んでしまえば子孫は残しませんから,次の世代にはその変異は伝わりません.過去にそういったことがあっても現在の我々は観察することができませんから,進化失敗です.

と,長くなりましたがやはりニワトリのタマゴが先ということで証明終わり.

2007/7/18追記

と,昨日寝ている間に考えたのですが,ガチョウのタマゴの殻を破ってニワトリのヒヨコが出てきたら,ガチョウのタマゴからニワトリが生まれた,ように見えるかもしれません.

というわけで更に考察します.

細胞がキメラになっている生物のアイデンティティはどうなっているのでしょう.深く考えると哲学的にハマりますので,半数より多くの細胞がニワトリの細胞なら,その生物はニワトリと定義しましょう.

つまり,受精卵が最初の細胞分裂を起こす前,もしくは最初の細胞分裂のためのDNA合成期に突然変異ができたときは,その後の個体はニワトリと呼べるかもしれませんが,それ以降に起こった突然変異によってニワトリにはなりません.突然変異の多くは細胞分裂の際に起こります.その後,細胞が生殖細胞になるまでは無数の細胞分裂を繰り返します.つまり,発生に従う突然変異率は一定とすると,ニワトリのものでないタマゴからニワトリが生まれてくる確率のニワトリがニワトリでないもののタマゴを産む確率に対する相対確率は,1÷(生殖細胞ができるまでの細胞分裂回数)になるでしょう.したがって,ニワトリが先というモデルの確率は限りなく低くなります.

2007年4月11日水曜日

間違ったリスク要因

NatureのNewsで取り上げられた記事についての紹介
Tests for heart-disease risk could be misleading
http://www.nature.com/news/2007/070409/full/070409-4.html

心臓病のリスク要因とされていた遺伝的変異を多くのサンプルを用いて確かめたところ、
85箇所について再現性が得られなかった。そのうち少なくとも7つは商業的な試験に持ちいられているものである。

という内容です。

「研究者はネガティブなデータを発表せず、ポジティブなデータを追い求めるために、少なく偏ったサンプルで決定された擬陽性の結果が発表される」といった趣旨の面白いコメントもあります。

もちろん、いい加減な解析しか行われていない研究は多々あります。しかし、理想的なデータを得ることがどれほど難しいかということは研究者自身が一番よくわかっています。特に心臓疾患は様々な遺伝的要因が絡み合って起こることが多いですから解釈は難しいです。「あなたはこの遺伝子を持っている人より3%心臓病になる確率が高い」と医者に言われるとショックかもしれませんが、人生設計に影響を与えるほどの違いはないと僕は思います。

さて、間違った因子同定の原因は何か。ここではサンプルサイズの大きさが一番の要因として取り上げられていますが、実際には様々な原因が関係します。面白いものを取り上げてみましょう。

まずは研究者の数。

自然科学の検定法では、5%の棄却水準を採用することが多くあります。つまり、「100回やって偶然では5回以下しか起こらないようなことが観察できたら、観察結果は偶然ではないだろう」と結論付けることです。

確かに100回に5回以下しか起こらないことを観察できた研究者は興奮します。しかし、逆に言うと、同じ実験を行っている研究者が100人いたら、たとえデータがデタラメでも、5人は偶然ではない結果を見つける(見つけたと思い込む)でしょう。
例えば、コインを10枚投げて全部同じ面が出る確率は約1/500です。これはめったに起こりませんが、500人が同時にコインを投げたら一人くらい出てきてもおかしくありません。

荒っぽく言うと、「論文が100本あったらそのうち5本は疑え」、ということです。
ただし、上のコインの問題を考えればわかりますが、500人に投げさせても一人も全部同じ面が出ないかもしれないですし、5人が出るかもしれません。このような確率をあらかじめ計算しておかなければいけません。

もちろん、一つの結論を導くために幾つかの方法で検証すれば、間違いの確率は減っていきますので、そのような論文は信頼度が高いとされます。

このような影響は、研究が盛んに行われている分野ほど大きいでしょう。論文に出た1本の陰に隠れて、ネガティブなデータしか出ない研究者が1000人はいるのですから。

工業的には抜き取り検査というものがしばしば行われます。工場で作った製品のうち、いくつかを抜き出して不良品をチェックするものです。工業製品にはより厳密なチェックが必要です。ネジ一つが不良であるために使用者に深刻なダメージを負わせるかもしれません。検出力と検査の手間はトレードオフの関係にあります。念入りにすべての製品をチェックするとコストがかかりすぎますし、不良品が多すぎても消費者からのクレームがきます。このようにして製品の品質をコントロールしていかなければなりません。

生物学でも、検出力の問題は重要です。ただし、工業製品と違って、すべての研究結果の質を均一に保つことは難しいでしょう。研究者にできることは、より偏りの少ないデータを使って、より詳細な考察結果を加えることにつきます。そのための知識は必要でしょう。客観的なデータさえつけておけば、後の人が別の解釈をすることもできます。上に挙げた擬陽性率などは、その後の応用にも非常に有用なものになるでしょう。

つづく...

2007年4月7日土曜日

学会費滞納

ほとんどの学会には学会費というものが存在します。学会というと研究発表の場を想像しますが、それは厳密には学会の大会で、学会と呼ぶと単なるサークルのことです。大会は研究発表の場として参加費が経費として請求できますが、学会自体は単なるサークル活動ですから、学会費は自腹で払わなければなりません。

学生の頃から入っていたとある学会ですが、留学を機に脱会したはずだと思っていたら抜けていませんでした。その結果滞納された学会費6年分を、先日、重い腰を上げて全額払いました。計5万円也...

と思ったら早速5年分の学会誌が段ボール箱で送られてきました。土曜日到着は勘弁です。本は場所がかさむから大変なんですよね。WebでPDFを落とせるようにならないでしょうか。

2007年4月3日火曜日

拠点形成

エイプリルフールに嘘をつく暇も無く4月が始まってしまいました。これで現在の研究所は3年目になります。交通機関もやっと整備されてきたので、気分も一新です。

さて、ポスドクで居候させてもらったシカゴ大学の進化生態学分野が、来年度に向けた研究大学の格付け(U.S. News and World Report)でEcology & Evolutionの分野で一位を確保したようです。他の大学に比べるとサイズの小さい大学ですが、ここでは、一箇所に世界的な研究者を集めるという理想を掲げて実行に移しています。権力のある人間はついついお山の大将になってしまいますが、研究者として成長するには常に切磋琢磨しているのが理想です。

日本の大学院なども重点領域を設けていますが、果たしてそれが如何に作用するか。アメリカの大学との大きな違いは、日本の大学の偏差値による序列です。

アメリカでは、「私は○○の研究をしたいから、その分野で有名な○○大学に行こう!」といったことが決められますが、偏差値を気にしてしまう日本では、入るときの難しさ優先で大学を選んでしまう人が多いでしょう。国立大を一度解体して序列を無くす、官僚の学閥を全部廃止する、なんてくらい滅茶苦茶やらないとそこらへんは直らないかもしれません。