2007年5月15日火曜日

単一遺伝子の頻度依存型選択による行動の多型の維持・1

Maintaining a behaviour polymorphism by frequency-dependent selection on a single gene
Nature 447, 210-212 (10 May 2007) | doi:10.1038/nature05764; Received 12 January 2007

表題の日本語訳はNature Japanによるものですが、論文のオフィシャルな日本語訳って難しいですね。直訳すると表題のようにわけがわからなくなるし、かといって意訳するのも本来の目的から考えてどうかなといったところです。

このブログでは単なる日本語訳ではなく、僕の解釈を添えて論文を引用していきます。というわけで、最初に自分のスタンスを明確にしておくことが必要だと思ったので、まずはそこから始めます。

ダーウィン的な進化生物学の命題の一つに、生物の表現型がどれだけ、またはどうやって環境に適応しているかを明らかにするということがあります。表現型というのは生物の形態だけでなく、行動も含まれるすべてのものです。ダーウィンの自然選択説では、生存に有利な個体が多くの子孫を残す確率が高くなり、そのような形質が遺伝することにより、生物の多様性が作り出されます。

したがって、現在に生きている生物の形質は多かれ少なかれ自然選択を受け環境に適応していると考えられます。キリンの首が長いのは高いところの葉っぱを食べるのに有利だったからでしょうし、イルカが四つ足を失ったのも海での生活に適応した結果でしょう。

しかし、ここに落とし穴があります。進化学者はついつい「生物の形態・行動は適応的である」ということを前提にしてしまいがちです。なぜなら、それが仕事であるし、興味の対象でもあるからです。しかし、適応的でなくともたまたま決まってしまった形態や行動は存在するでしょう。遺伝学者のLewontinが遺伝子決定論者に対して挙げた例を真似てこういう質問をしてみましょう。「子供がホウレンソウを嫌いで大人は嫌いではないというのは生物学的に適応している結果ですか?」

もちろん適応的な説明はできます。子供の成長に必要なカルシウムの吸収はホウレンソウに含まれるシュウ酸によって阻害されるので、ホウレンソウの苦味を幼年期に嫌いになるようにヒトの味覚は進化してきた、ということはできます。しかし、この説明を聞いて「なるほどな」と思ってしまってはダーウィン教の信者と呼ばれても仕方ありません。科学的には説得力のあるデータを与えてこれを証明しなければいけません(自然科学と進化学の話はここでは割愛)。特に、行動は形態よりも複雑なものです。生物の行動もすべて適応的であると解釈すること、特にそれをヒトに直接当てはめることは危険です。飲み屋で一杯飲みながらする分には面白い話ではありますが。

さて、以上の文章は行動の進化学について否定するものではありません。きちんとしたデータと真面目な解釈が大事であるということです。

僕は遺伝子を用いて進化を検証するという立場で研究を行っています。とすると、行動の進化を調べるには「行動を決定する遺伝子」というものが存在しなければなりません。本当にそういった遺伝子は適応的に進化しているのでしょうか。

もう一つの疑問は、ゲーム戦略という行動に関わる遺伝子が本当にあるかどうかです。ゲーム理論とは行動の進化と多様性を説明する重要な理論ですが、一つ大きな問題があります。それは、タカ派、ハト派などと呼ばれる戦略を決定する遺伝子が本当にあるかどうかということです。そういう行動をする個体はこれまでに観察されていますし、生態学者によって様々な研究が行われています。しかし、そのメカニズムはなんであるのか、ということの証拠は乏しいとしか言えません。おそらく、ヒトを含む哺乳類などでは単一の遺伝子によってある行動が制御されているという例は想像が難しいでしょう。行動というものはいくつかの遺伝子が強調的に働いて決定されており、「ホウレンソウを嫌う遺伝子」や「人見知りの遺伝子」といったものは存在しないはずです。

表題の論文では、ショウジョウバエを実験に用いています。大腸菌の走化性も行動の一種ですが、昆虫などは遺伝的にプログラムされた複雑な行動をとるので、行動の遺伝的研究にはおあつらえ向きです。単一の遺伝子が行動に影響を与え、その行動は主に他者との競争に関わります。そのような遺伝子が存在すること、更に頻度に依存して自然選択を受けているのではないかというデータが示されています。

つづく...