Michael Lynch The frailty of adaptive hypotheses for the origins of organismal complexity PNAS 2007 104: 8597-8604
実際の講演の様子がストリーミングで視聴できます。
先日の僕のエントリーでもたまたま述べたのですが、表現型の進化を何でも適応的に解釈してしまうことに対する反論です。少々議論が飛躍しているところもありますが、考え方としては面白いと思います。
彼の考え方は非常にシンプルです。集団遺伝学の理論に基づくと、集団サイズの大きい生物ほど遺伝子にかかる淘汰圧は強くなり、小さくなると弱くなります(ヒト-チンパンジーの話を参照)。集団遺伝学の理論は突然変異とその集団中での頻度の変化という概念に基づいた理論です。これは現代的な進化の解釈そのものになっています。すなわち、バクテリアからヒトまですべてがこのルールに従って動いていると仮定されます。
バクテリアなどの原核生物から哺乳類のような複雑な生物を見渡してみて何が違うか。集団遺伝学の立場からは集団サイズの大きさと突然変異率の違いがもっとも大きいものであると考えられます。突然変異率は、ある方向への偏りが無い限りは相対的な淘汰の強さには影響しないので、生物の複雑さとより強い相関関係にあるのは集団サイズのほうであるということができます。自然界を見渡してみると、生物が複雑になればなるほど、その集団サイズは小さくなっていく傾向が見られます。例えば、ヒトは約0.1%程度のDNAの個体差を持つ集団を形成していますが、ショウジョウバエの個体差は約1%程度、酵母などの単細胞生物は10%くらいDNAが違っていても平気で遺伝子を交換します。
Michael Lynchは、「生物の複雑さは単なる淘汰圧が弱まったことだけでも説明可能であるから、あえて適応的解釈を持ち込まなくても良い」、と主張しています。真核生物の遺伝子はエキソンーイントロン構造を持ち、非翻訳領域や複雑なプロモーター、多数の重複した遺伝子族を持ちます。我々はついつい、これらの複雑性が持つメリットのみを考えてしまいますが、ゲノム構造が複雑になれば負の淘汰圧(コスト)は大きくなり逆にデメリットとなります。Lynchは色々な例を挙げて、これらが必ずしも適応を必要しないと説明しています。
ここで問題になっているのは、「果たして本当はどうだったのか?」、ということではありません。もし検証により適応的な証拠があがるのならば、適応的な結果だったと結論づけることができます。しかし、中立的に証明できることにわざわざ適応という仕組みを持ち出すことはないということは、不必要な説明はできるだけ省く(オッカムの剃刀と呼ばれる考え方)のが科学的に正しいだろうというスタンスに立っての発言なのです。
僕は、彼の主張はもっともであるが、複雑さが適応的だという仮説を立てて何かしら研究を行うのは良いことだと思います。色々な生物のゲノムがわかってくると、更に面白いことがわかっていくでしょう。ただし、それはあくまでも仮説だということを理解していなくてはなりません。盲目的に適応を当てはめていっては、真に進化を理解することはできないのではないでしょうか。
つづく...