2007年6月28日木曜日

オープンレビューは何故上手くいってないのか

Natureの記事です。以前PLoS Oneの紹介もしましたが、それら新しいレビューシステムに対するコメント。
http://www.nature.com/nature/journal/v447/n7148/full/4471052d.html
こちらはもう少し前の記事。
http://www.nature.com/nature/peerreview/debate/nature05005.html
簡単なコメントですので、もう少し掘り下げてみます。

現在の論文査読システムは、編集者が論文を受け取ったあと、匿名の査読者数名に論文の査読を頼み、意見を聞いてから論文の受理を決定するというシステムです。

このシステムの欠点を一部あげると、
1. 査読審査に時間がかかる
2. 匿名の査読者が、公開前に論文の内容を知ることになる
3. 匿名の査読者が自分の都合の良い、またはいい加減な評価を下すことがある

ということがあげられるでしょう、ポイントは査読者に全くリスクが無いということです。

そこで考えられたのは、論文をWebで公開して、それに対して非匿名のコメントを集めることによって論文の是非を決めようというものです。これならば投稿後ただちに論文を公開することもできますし、非匿名の査読者が足を引っ張ることもありません。

一見これこそが次世代の論文評価システム、というように聞こえますが、実際に行われた結果は必ずしも上手くいっていません。Natureはオープンレビューのテストを打ち切りましたし、既に発信しているBiololgy DirectやPLoS Oneは論文の数こそ順調なもののコメントはほとんどありません。ただ、査読者のコメントが非匿名で公開されているので、興味を持って深く読む分には読者の助けになるでしょう。両者とも、問題点(1)であげたような、査読のスピードがメリットになる種類の論文よりも、一般の雑誌では採用されにくそうな仮説を立てた論文が多く見受けられます。

問題点はどこにあるか。やはり、自分の名前を晒してコメントをつけたがたる科学者が少ないからでしょう。もともと査読というものから直接的な利益というものは発生せず、完全なボランティアの仕事になります(ただし、悪意を持てば他人の論文を盗むこともできます)。匿名でノーリスクであるのならともかく、リスクを背負ってわざわざ他人の評価などしたくないというのが本音でしょう。自分のコメントが見当違いであった場合には自分の立場すら危うくします。

Natureのケースは更に違う事情があります。論文の公開が受理につながらないので、論文が不採用であった場合には一般に登校中の論文の内容を公開しただけという結果になってしまいます。これは投稿者にとって大きなリスクです。Biology DirectとPLoS Oneの問題は論文の質の維持といえるでしょうが、Natureのケースでは投稿が無くなって終了というのも納得できる結果です。

時間をかけて練った自分の論文ならば公の批判も受けることができますが、他人の論文を読んでコメントするのに地雷を探しながら進むようなマネはしたくないでしょう。口頭で議論をするのと文字として議論が一般に公開されるのとでは、気分は随分違います。これは個人的な意見ですが、政治家は言った言葉を大切にしますが、科学者や文筆を生業とするものは書かれた言葉を大切にします。

捏造を見抜けないシステムであるなど、色々問題点もありますが、なかなか良い代案を得られないのがこの匿名査読者によるレビューシステムのようです。ただ、色々と新しい試みをすることは良いことであります。そのうちすばらしい代案が出てくるのでしょうか。インパクトファクターに追い立てられる毎日の研究生活はできるだけ早く終わって欲しいところです。

2007年6月22日金曜日

インパクトファクター2006

科学論文雑誌の評価基準のひとつにインパクトファクターというものがあります。2年間の論文の被引用回数を総掲載論文数で割ったもので、この値が高いほど他の研究によく引用されている、すなわち注目度の高い雑誌ということになります。

個人的な意見を言わせてもらうと、この数字はひとつの目安にはなるけれども、それだけを追い求めるのは愚の骨頂であると思っています。と、大声でいいたいところなのですが、最近は常に競争原理の導入とかで、一点でも点数の高い論文を出さなければいけないという風潮にあります。

したがって、ある程度自分のポリシーと妥協せざるをえないところがあります。僕は基本的には「できるだけ多くの興味ある人に読んでもらう」ことを目的として雑誌を選んでいます。ある程度研究を続けてくると、この雑誌にはこういった傾向の論文が多いとか、この雑誌は最近質の悪い論文が多い(有名なラボの論文が掲載されていない、逆につまらない論文が有名ラボという理由だけで載っている)とか、そういうことがわかってきます。そういった判断が正しいか間違っているかはともかく、単なる数字ではなく自分なりの基準を持っておくことは大切であると思います。

さて、雑誌の点数に固執することの問題点は他にもあります。それは、この点数が毎年変わるものだということです。最近2年間の成績が反映されるので、色々な条件によって上下降します。基本的には業績の評価は評価時点での点数によって決定しますので、昔点数が高かった雑誌に載ったからといって、必ずしも現時点での評価が高いわけではありません。今週になって2006年度のインパクトファクターが一斉に発表になりました。生物系の歴史がある中堅雑誌は点数が下がっているところが多いですが、Nature、Cellの姉妹紙の増殖やPLoSシリーズなどの存在が大きくなっているのだと思います。実は僕も先日論文を投稿した雑誌の点数がガクッと下がっていたので少しガックリきています。まあ、本命の雑誌に蹴られたあとの敗戦処理みたいなものなので仕方が無いですが。

点数の変化に対応するには、やはり情報収集に尽きるでしょう。最近はE-mailで目次が送信されてくるサービスが多くの雑誌に存在するので、最新の情報は常に入ってきます。雑誌を取っていなくてもアブストラクトなら簡単に読むことができます。それを読んで点数の変化を予想するか、それとも点数などに惑わされずに自分が良いと思った雑誌に投稿するか。どちらの方針も可能性があると思います。

進化の研究は層がそれほど厚くはないので、Nature、Cellやその姉妹紙に蹴られたときの受け皿はそれほど多くはありません。最近少し残念なのはNature GeneticsがHuman Geneticsの記事に偏ってきていることでしょうか。昔はわりとEvolutionの話があった気がするのですが、最近は病気の原因遺伝子の話ばっかりです。その代わり、最近できたPLoS Geneticが進化から病気までわりと幅広く遺伝学の話を載せているようです。Nature Evolutionary Biologyなんてできたら面白いかもしれませんが、その下の中堅雑誌が軒並み死亡しそうで、そこらへんによく論文を出させてもらっている僕のような人間には複雑な気分であります。

2007年6月19日火曜日

系統樹オーム

以前のエントリーで話題にした系統樹がらみの話を見つけたので紹介します。

The human phylome. Genome Biology 2007, 8:R109.

39のゲノム配列が解析された生物の遺伝子を全部ぶち込んで系統樹を作りました、というものです。方法は最尤法とベイズ推定、とても計算量の多い方法です。140個の64ビットプロセッサのクラスターで2ヶ月、シングルプロセッサだと23年かかる計算のようです。まさに力技。

しかし、モデルを複雑にして、数も増やして、とやっても結果は微妙のようです。特に以前も話題にした霊長類-げっ歯類-ローラシア獣類(イヌ、ウシ)の関係は、ネズミが一番根元に来るという結論のようですが、次のようにも断っています。

>Here too, differences in the relative evolutionary rates, and the possible long-branch attraction effect, might have an effect on the high proportion of trees showing rodents at a basal position, since rodent sequences have been shown to have the highest rates of substitutions when compared with primates and artiodactyls.

従来の方法ではなく、何か別の考え方が必要かもしれません。僕の意見では、哺乳類の拡散が一度にどっと起こった、または祖先集団の集団サイズがとても大きかった、という感じがしますが、化石などの証拠からはこのような説のサポートがどこまでできるのかが気になります。

2007/7/17追記

極端な種の分化が起こるためには,集団のサイズは十分大きくなければいけない.というようなアイデアを既にダーウィンは「種の起源」で考えていました.なぜなら,種が適応する原因となる突然変異のインプットがある程度多くないと,有利な変異は後の交配でどんどん薄まってしまうと考えていたからです.現在の理論ではこの理論は少し修正されています.ダーウィンは変異のインプットの大小だけを考えていましたが,大集団では遺伝的浮動の効果が減少するので,有利な変異はより確実に固定することが理論的に示されています.

2007/7/18追記

http://www.nature.com/nature/journal/v447/n7147/full/447918a.html
有胎盤類の共通祖先が今までの予想よりずっと最近ではないかという化石証拠が見つかったという論文です.あまりにも従来のデータと離れているので再考が必要かもしれませんが,爆発的な拡散を示す興味深い示唆です.

2007/7/19追記

http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/content/abstract/msm094v1

Rates of Genome Evolution and Branching Order from Whole Genome Analysis
別のグループの論文.こちらは霊長類に近いのは食肉類という結果.

2007年6月8日金曜日

ポッサムとオポッサムの違い

読んでくれと頼まれた論文にオポッサムのゲノム配列を利用したものがあったのですが、ポッサムと書かれています。気になったので調べてみました。

・ポッサムは有袋類フクロギツネ科、オーストラリア、ニュージーランドに分布
・オポッサムは有袋類オポッサム科、南北アメリカ大陸に分布

有袋類はカンガルーやコアラなどと一緒で胎盤が発達しない哺乳類の仲間です。主にオーストラリア大陸に住んでいますが、オポッサムはアメリカ大陸にも分布しています(正確に言うとオーストラリアとアメリカ大陸だけで生き残った)。

ということで、オポッサムとポッサムは違う生物を指しているのですが、

・英語ではopossumをpossumと略して呼ぶこともある(狸寝入りのことをplay possumと呼ぶ)
・Colloquially, the Virginia opossum is frequently called simply possum.
英語WikiPediaより引用

ようです。なので慣用的にはopossum=possumであるが、学術的には違います。

ちなみに、最近ゲノム配列が決定されたのはオポッサム(
Monodelphis domestica)のほうですので、ポッサムと書くのは不適切でしょう。

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2012年8月28日追記

ふとしたはずみで上の文章が間違っていたのに気づきましたのでお詫びして訂正します.

ゲノムが読まれたのは,Monodelphis domestica,これはOKですで,これはアメリカに住んでいるタイプです.でもってポッサムにはもう一つ使い方があるようです.慣用的にアメリカでポッサムと呼ばれるほかに,wikipediaによると,

"A possum (plural form: possums) is any of about 70 small to medium-sized arboreal marsupial species native to Australia, New Guinea, and Sulawesi (and introduced to New Zealand and China)."


ということで,前者の意味ではゲノムが読まれたのはポッサム,後者の意味ではオポッサムということになります.

2007年6月6日水曜日

クリティカルシンキング

病気の原因の話の続き。文章を書いたときはまだ書き足りなくて続くと書くのですが、後になってみると何を続けたかったのか忘れてしまうことがあります。先週のコメントのつづく...は何に続くのか。BSEが発症してきたようです。

覚えている限りは続けていきます。その代わり脱線します。

病気の原因である遺伝的変異を見つけるには様々な方法がありますが、その一つにアソシエーションスタディというものがあります。図をみると一目瞭然です。



病気になる病気にならない
変異を持っていない1040
変異を持っている4010

変異を持っていないの20%(10/50)が病気になるのに対して、変異があると80%(40/50)の人が病気になります。しかし、変異があるからといって必ずしも病気になるとは限りません。こういうときには、この変異は病気に対してリスクが高いといいます。これが統計的に有意かどうかを確かめる方法は幾つかありますが、例えばFisherの検定法を用いると、観察結果が起こる確率は10のマイナス8乗以下、つまり1000万分の1以下になります。ただし、この表が必ずしも適切な比較とは限りません。それも疑ってかかる必要がありますが、それについては次回書きます。

さて、この2×2の表はクロス集計表とも言って、客観的考え方の基礎になります。

ある薬を飲んだら、50人のうち40人の病気が治ったとしましょう。さて、この薬は有効かどうか?

答えは「わからない」です。本当の結果を見てみます。



病気が治らない病気が治る
薬を飲む1040
薬を飲まない1040

薬を飲んでも飲まなくても80%の人が治るので、薬を飲んだから治ったとは言えません。これは極端な例ですが、客観的に何かを判断しなければいけないときにはこういった考えが役に立ちます。日常的にこういった考えができる人は良いのですが、巷に溢れる俗説や疑似科学、安易な健康志向などをみていると、そうでない人は多そうです。また、普段は論理的な考えができても、物事が複雑になってくると途端に思考停止におちいることもあります。こういって批判的に現象を読み解くことをクリティカルシンキングと呼びます。

大事なことは、常にこういった視点でものを見るには、訓練が必要だということです。こういった感覚は、論理的に解釈して、それを他人に伝えて、それを批判されて、という仮定を経て身についてくるものだと思います。僕の好きな定義は、一人前の科学者とは、「問題を提起し客観的にそれを評価することができるような訓練を受けた人間」、であります。人間の能力も関係しますが、それ以上に正しい教育と実践の過程が重要ではないでしょうか。

ただし、どこまで実生活にこの考えを持ち込むかは人によりけりです。科学の基本は「常に疑え」ですから、その精神で毎日を暮らしていくのは随分と辛いことだと思います。職業によっては、理屈など屁のつっぱりにもならない分野もあるでしょう。理屈じゃないところがあるから人間社会は成り立っているのではないでしょうか。まあ、そこらへんの解釈は社会心理学者にでも任せるとしましょう。

つづく...