覚えている限りは続けていきます。その代わり脱線します。
病気の原因である遺伝的変異を見つけるには様々な方法がありますが、その一つにアソシエーションスタディというものがあります。図をみると一目瞭然です。
病気になる | 病気にならない | |
変異を持っていない | 10 | 40 |
変異を持っている | 40 | 10 |
変異を持っていないの20%(10/50)が病気になるのに対して、変異があると80%(40/50)の人が病気になります。しかし、変異があるからといって必ずしも病気になるとは限りません。こういうときには、この変異は病気に対してリスクが高いといいます。これが統計的に有意かどうかを確かめる方法は幾つかありますが、例えばFisherの検定法を用いると、観察結果が起こる確率は10のマイナス8乗以下、つまり1000万分の1以下になります。ただし、この表が必ずしも適切な比較とは限りません。それも疑ってかかる必要がありますが、それについては次回書きます。
さて、この2×2の表はクロス集計表とも言って、客観的考え方の基礎になります。
ある薬を飲んだら、50人のうち40人の病気が治ったとしましょう。さて、この薬は有効かどうか?
答えは「わからない」です。本当の結果を見てみます。
病気が治らない | 病気が治る | |
薬を飲む | 10 | 40 |
薬を飲まない | 10 | 40 |
薬を飲んでも飲まなくても80%の人が治るので、薬を飲んだから治ったとは言えません。これは極端な例ですが、客観的に何かを判断しなければいけないときにはこういった考えが役に立ちます。日常的にこういった考えができる人は良いのですが、巷に溢れる俗説や疑似科学、安易な健康志向などをみていると、そうでない人は多そうです。また、普段は論理的な考えができても、物事が複雑になってくると途端に思考停止におちいることもあります。こういって批判的に現象を読み解くことをクリティカルシンキングと呼びます。
大事なことは、常にこういった視点でものを見るには、訓練が必要だということです。こういった感覚は、論理的に解釈して、それを他人に伝えて、それを批判されて、という仮定を経て身についてくるものだと思います。僕の好きな定義は、一人前の科学者とは、「問題を提起し客観的にそれを評価することができるような訓練を受けた人間」、であります。人間の能力も関係しますが、それ以上に正しい教育と実践の過程が重要ではないでしょうか。
ただし、どこまで実生活にこの考えを持ち込むかは人によりけりです。科学の基本は「常に疑え」ですから、その精神で毎日を暮らしていくのは随分と辛いことだと思います。職業によっては、理屈など屁のつっぱりにもならない分野もあるでしょう。理屈じゃないところがあるから人間社会は成り立っているのではないでしょうか。まあ、そこらへんの解釈は社会心理学者にでも任せるとしましょう。
つづく...